新宿
早めに仕事あがって新宿に行った。
気がついたらわりと北の方まで歩いてて慌てて引き返した
タクシー。夜の写真はフィルムエミュレーションするとダメだということがわかった。
ドクターマリオの敵みたいなやつ。
グラフィティアーティストが取り締まりで全く育っていないの悲しいと思った。
https://www.flickr.com/search/?text=graphity
海外のグラフィティアーティストとの差が凄い。グラフィティ特区みたいなの作ってやってくれまじで
渋谷
いつからエモいブログになってしまったのか反省しつつ、帰りに渋谷を少し歩いてきた。
いつもカメラ持って出社してるのに撮らないの勿体無いと思いつつ、明日はちょっと早めに仕事上がって写真撮ってこようと思った。
さん…。ぽ
色々撮ったんだけど、あんま言葉付けない方がヨサゲな写真ばっか撮れたので今回は淡々とした感じで
江戸川花火大会にいってきた
2年ぶりに江戸川の花火大会に行ってきた。
三脚も無いし、花火だけ撮ってもスマホと撮るのとあまり変わらない気がしたので最初から花火以外のものにフォーカスした感じで取りに行くつもりで出かけた。
緑色、早速チキン発動で草を撮った。
河原が広いので人が多くてもわりとスペースが広かった。
飛行機が飛びまくってた。
一応花火を撮ったけど一番まともなのがコレ。
浴衣女子.
椎名もた
ぽわぽわPこと、椎名もたさんが他界した。
諸処は他のエントリでも取り上げられているし、詳しく書かないから僕個人の感じたことを適当に書こうと思う。
僕は椎名さんと面識があるわけでもないし、ライブに行ったことも無いフォローもしてない。だから、椎名さんとはとても遠い存在であるし、椎名さんも僕の事は知らないと思う。ただ、どれよりも彼の曲が好きだった。
毎日の様にニュースで人が死んだ事が報道されて、ぼくも家族や友人が亡くなった経験があるのだけど、これまでのどんな人の死よりも身近で驚いた。
訃報を見た時は悪い冗談だと思った。インターネットではよくあることで、本名を出さないのを良いことに自由に世界から消える事が出来る。だから、今回もそういうアレで椎名もたはこの時点で曲を書くのを辞めました。この業界の椎名もたはもう死にました。似たような曲を出す人とか、似た顔の人がいてもそれは「椎名もた」じゃないんだよ。と、そういうことかと思いました。
GINGAの記事を見て、GINGAも悪い冗談を言うなと。
でも、なんか様子がおかしい。妙にリアリティがあって、ナタリーやはちまも取り上げ始めてあまりの情報の圧力に事実だと信じない方が無理があった。
そこでようやく、(あぁ、マジなんだ)と。
曲
怪盗・窪園チヨコは絶対ミスらない
「怪盗・窪園チヨコは絶対ミスらない」がぽわぽわPの初めて聴いた曲だったと思う。
スラップベースが好きで、この曲のベースラインが凄いツボだったのを覚えている。
「すばらしきこのせかい」や「カオスチャイルド」とか、今でも 『東京で超能力』という世界観が大好きで、「怪盗・窪園チヨコは絶対ミスらない」は僕のお気に入りの一曲になって、今でもよく聴いている。
それからしばらくして、「夢のまにまに」が公開されたんだったと思う。
ボカロ曲は毎日のようにアップロードされているから、「怪盗・窪園チヨコは絶対ミスらない」がいくらいい曲でも「ぽわぽわP」自身を意識することは無かった。
それが、「夢のまにまに」でまた「ぽわぽわP」の名前を見かけることになった。
そこからは「ぽわぽわP」の虜になっていた。
彼の作る曲やアルバムを片っ端から聴き漁った。
どれも良いわけじゃなかったけど、好きな曲は本当に好きだった。
曲もMVも良かった。センスのある人達が彼に集まっていた様に見えた。センスの塊だった。
アルターワー・セツナポップ
セカンド・アルバムが出た時に、彼が若干18歳ということを知った。
インタビューを読むと、エナジーにあふれていた。ちょっと後ろ向きな所もあるけれど、全てを受け止めているようにみえた。
そして、何より彼からは「オリジナル」が異常な程出ていた。
この社会では基本的にはinputとoutputで売れるものを作っていくという原理が働いていて、その歯車に入ったらもうそうやって動くしか無くなってしまう。
ゲームなら、既存のゲームのいいところを取り入れて問題を改修していくと言った具合だ。
でも、「椎名もた」からはそれは感じ取れなかった。彼自身が直接生み出しているような感覚がした。
inputがあったとしても、なにかこう有機的なものだと思った。空気とか夢とか、星とかそういう所から彼は言葉を生み出しているようにみえた。
ハイカラさん
ハイカラさんというボカロPがいる。
highcolor_sunzという名前で数曲だけニコニコ動画に投稿していた。
一目惚れならぬ一聴き惚れなのだけど、彼の曲も大好きだった。
RE-OVERDOSEはとても泥臭い感じのメロディーで、「期待の新人」という感じだった。
フレーズを繰り返す所とかは、ぽわぽわPに似ていて、ぽわぽわPが好きな僕はhighcolor_sunzも好きだった。
ぽわぽわPとhighcolor_sunzはどっちも好きだった。
生きる
サード・アルバムは「生きる」だった。
チヨコのようなメロディはもう無かったけれど、彼らしさには磨きがかかっていた。
アルバムのラストの曲「さよーならみなさん」はタイトルから引退もささやかれたりしたけど、彼は「これからも音楽を続けます」とだけ言っていたから、僕は安心していた。
音も豪華になっていた。最初の頃のチープな音じゃなくて、ちゃんとお金のかかった音源の音がしていた。
それが嬉しいような、寂しいような不思議な感覚だった。
赤ペンをおねがいします
「椎名もたが死んだ」という現実と一緒に彼が亡くなったその日に「赤ペンをおねがいします」という曲が投稿された。
Red Ink PenとR.I.P.をかけている事にはすぐ気がついた。本人もそれを狙っていたのかはもう分からないけど。
「赤ペンをおねがいします」は、「生きる」と真逆だった。
むしろ、昔のぽわぽわPみたいだった。ミクの声も調整が終わってないような、歌も中途半端な感じで「間に合わなかった」感じがした。
そういうわけで、彼は「オリジナル」を誰も引き継げないうちに亡くなってしまった。
先月は任天堂の岩田社長が亡くなったが、岩田社長の意思は任天堂が引き継ぐだろう。Appleの時もそうだったから間違いない。
でも、「椎名もた」の曲は誰が引き続くのだろうか。
「ポストやくしまるえつこ」のような、「ポストぽわぽわP」ボカロPがいただろうか。
highcolor_sunz
「ポストぽわぽわP」なら、highcolor_sunzがいる。すぐにそう思った。
でも、それもすぐに無理だと分かった。
椎名もたのブログの訃報で紹介された遺作に「RE-OVERDOSE」があったからだ。
椎名もたはhighcolor_sunzだった。
あの時、「椎名もた」が18歳でもどんな人でもバックグラウンドなんて関係なく僕は「椎名もた」の曲が好きだったのだと分かった。
自分が死ぬ日に作品を残す。
「椎名もた劇場」は最初から最後まで、彼のシナリオどおりに始まって終わったように見えた。
創作は、「初める事」と「締める事」が難しい。初めるのは全体の2割くらいだと思う。そして、続くのは2%くらい。 そして、最後に「締める」のは0.05%くらいだろう。
流行ると、なおさら止め時がわからなくなる。上手くいってても、自然消滅してしまうのが殆ど。
自分が死ぬ時に、自分の人生が無駄でなかったとちゃんと残して、お礼も言って、最高の幕引きを務め上げるなんてどうやったら出来るのだろうか。
天才という一言にまとめるのは本当に良くないけど、僕が尊敬してたのは間違いないし本当にまだ現実とは思えない所がある。
また別名でこっそりニコニコ動画に新曲をアップするんじゃないかと思ってしまう。
「これからも音楽を続けます」の言葉の通り、きっと向こうでも新曲を作り続けると思う。
思ったことを続けて書いたので、読み難い文章になってしまったけど今回感じたのはこういう感じの事です。
ご冥福をお祈りします。